ただあこがれを知るひとのみ わが悩みをわかる

また! あなたの夢を見ました。
今までで一番近かった。吉澤さんは二年くらい前のように少しふっくらとしていて、色白で、開いたドアにもたれ、『8teen』を開いているときのように目の前にいた。
私は興奮して一生懸命しゃべりかけるけれど、吉澤さんはへえ、そうですか、と軽く受け流していく。「スヌーピーの漫画って知ってますか?」とか自分なりにネタを披露しても、だめ。どうしてよ、あこがれのよっすぃ〜に会ってるのに、全然ときめかない……とあせりながら目が覚めた。
目覚めて考える。あこがれのよっすぃ〜は、簡単に友だちになれるような相手じゃない。勝手にときめこうとしたってうまくつきあえるはずもない。
私にとって彼女は「あんなふうになりたい」というあこがれで夢で、それは歌ってフットサルをやってということじゃなくて、振りまかれる美しさとか立ち回りとか、もっと抽象的なかたちとして。(なのに彼女は確かに現実のかたちとしてあるので、しょっちゅう混乱する)それは決して私と馴れあえるものじゃないし、一方的な好意にいちいち応えない。
私がよっすぃ〜を好きだと思いつづけるには、まずはよっすぃ〜と離れたところで仕事をしていなくちゃいけないんだ。せめて夢のなかでは対等にわたりあえるくらいに。
そう考えすぎられるくらい、あこがれがいのある相手。

「森をほんとうに自分のものにしたいのだったら、自分のなかにcreateする他ないし、それは森とは何のかかわりもないこと、自分だけでやりとげるより他ないこと」
栃折久美子森有正先生のこと』筑摩書房