吉澤プロ

 一月の終わりの大阪公演を吉澤ひとみが笑顔でやり抜いたと知って、さすがと思うと同時に当然だと思う気持ちもあった。彼女はプロなんだから、一身上の都合は横に置いて舞台をやり抜くことはできるだろう、と信じていた。私たちに知らされないつらいことだって今までいくらでもあったはずだけど、脈絡なく泣き崩れたりしなかったわけだし。
 でも、昨日の卒業式は本当にさすがだと思ったし、びっくりした。卒業式はみんな素のまま悲しがることが許されていて、お客はそれを見に来るようなものだったのに。自ら「I WISH」を選んだくせに。
「さいたまでは泣きません。メンバーがもし泣いたらお尻ペンペン、ファンの皆さんも泣く暇がないくらい楽しいライブにします!」
ってフラッシュで言ってて、そりゃそうしたいだろうけど無理でしょうーと思っていたら、本当にそんなライブをしてしまった。特に夜は私もほとんど泣かなかった、笑ったし、あっけにとられて。
 「笑える卒業式」をちゃんとつくった。本物のプロだった。
 昨日は白いサイリウムのなかで「みんながここにいる限り、何色にも染まるよ」と言っていた。ハロよしにも「応援してくれる人がいる限り、吉澤はみんなの元にいたいと思っているから」と書いていた。ラジオの公開収録でも「どん欲にどんなことにでもチャレンジしていきます」と話していた。
 よっすぃ〜は、これからも私たちの前にいるために、何かをします、と言っているみたいだ。
 私としてはそこにいてくれればいい。たとえば大学の小さな教室で教壇に座って、気が向けば話してくれればいいし、黙って窓の外をずっと見ていてもいい。私たちは学生の席でただ見守る。それで一時間いくらです、とか。それでいいよって人はまあそれなりにいるでしょ? それだけでもよっすぃ〜は食べていけるかもしれないでしょ? たぶん。しばらくは。
 でも、それじゃだめなんだ。なんでかよくわからないけど。よっすぃ〜はいずれ教室に来なくなるだろうし、私たちも少しずつさぼりはじめる。
 吉澤ひとみは根性のプロで、人前に出ることのプロ。そのうえでどんな仕事をする? それが、お互いに見たい。
 ハロプロから卒業する人が増えて、よっすぃ〜卒業の報告のとき「ハロプロには残る」ってところで私は安心していた。今そういう決心をすること、決してそのままの流れに乗っていくわけじゃなくて改めて覚悟すること、の重みがよくわかっていなかった。
 よっすぃ〜がこれからも私のもとにいられるように、がんがんがっついていこう! と思ったわけです。相手がプロなら、遠慮することはない。