チェリー

何度か見返して(何度も、というわけでもなく)、何度見てもかなしい。病床でみる白昼夢みたい。
あのすごい笑顔は、今この瞬間が楽しくて仕方がないから笑っているというより、この先いつまた笑えるかわからないから笑っとく、みたいな感じがする。
ハローの人たちの笑顔はいつもそう見える。次のツアーはこのメンバーではできないから今を楽しんでおこうとか、常に未来を先取りして今を生きているような気がする。「目にやきつけてください」ってみんなよく言うけど、それも終わっちゃったあとのために今を見ておいてね、ってことじゃない。悲しい過去を繰り返すうちに、やがては今を悲しく思いだす日もくることを知ってしまった。
いつか吉澤さんか石川さんがハロプロから去る日がきたら、その前の日の夜、ふたりはカラオケでチェリーを歌うんじゃないか。それを先に見ちゃったような映像だった。「あのときはよかったね」、と言うことが決まっているみたいな。
そうじゃなきゃ、どうしてこんなに悲しい歌でこんなに笑顔なの? 自然に笑顔になった、というのを超えちゃってる笑いかただよ。「愛してる」「喜び」という言葉も「だけ」「ささやかな」「つぶれるほど」とネガティブにされて、ふたりがこの場所でまためぐり会える日なんて来るの? と思っちゃうよ。最初で最後のチェリー。
この笑顔の先に、どんなふたりの未来があるんでしょうか。第二、第三のチェリーをいやってほどに見せてくれたら、私も今日のネガティブな日記を笑いとばして、安心してチェリーに萌えることができると思うんだけど。
pさんのおかげで、自分のもやもやの正体にちょっと気づけました。ありがとうございました。